« 動きたくないときって・・・ | メイン | 身体に意識をいきわたらせる »

2005年12月16日

生老病死

私は養老先生が好きで、よく、本を読んでいた。
去年、バカの壁が売れてからは、あんまり読んでいないけれど。

養老先生の本を読むと、頭がすっきり、思考が明晰になる感じがして好きだった。
ある意味、フェルデンクライスをやった後のよう。

その、養老先生は、唯脳論だったか、何かで、
都市生活は生老病死を排除しているといっていた。

生きるうえで一番ダイナミックで生々しいもの。
確かに、インドでは死体がその辺に転がっているというけれど、
日本ではまずありえない。

でも、毎日どこかで、誰かが生まれているし、病に臥しているし、
老いは自然にやってくるし、死に行く人だっている。
それを、確かに排除している。

今月の初めに、鶏を自分達で絞めて、それを食べるという機会を持った。

関連記事↓
日本のパーマカルチャー★パーマカルチャリストへの途
グルーヴな感じ

自分達っていっても、私は見ていただけでやっていない。
すっかり、きれいになり鶏肉となったものを調理しただけ。
しかも、調理といっても、ダッチオーブンに鶏、野菜を丸ごと入れただけ。

一緒に行った友人達が、勇気を持ってやってくれたので…
「手の感触に、その感覚が残っているし、自分でさばいた鶏は
ただ、美味しいねーって言って食べられるものじゃなくて、もっと深いものがある」と
ゆうじろうが言っていた。
生きていくのって、いわゆる、きれいなものばかりではないし、
もっと、雑多で、いろいろ混在しているもの。
そこに、食べさせてもらえることのありがたさとか、
他の生き物の命の上にのっているというなんともいえない感じとか、
みんなで食卓を囲むしあわせとか、いろいろな、気持ちが混ぜ合わされる。

人間の心や体だって同じだ。
優しい自分もいるし、人を恨んだり憎んだりする自分もいる。
自分の体だってきれいなところもあるし汚いところもある。

でも、すべてそれはある視点から見ると、きれいとか汚いとかではなく、
在るということが、素敵なことなのかもしれない。

昨日、オイリュトミーで、母音「あえいおう」の練習をいろいろやった。
「え」「e」という音は、右手と左手を交差させたり、左右に大きく広げたりする動きだ。
自分の中に、右と左がある、陰と陽がある…そんな2極性を表わす動きでもあるらしい。
それでも、1人の人間なのだ。

生老病死は予測不可能で、厄介なもの、恐いもの、暗いものだったりもする。
だから、人間は、自分の脳の中で制御可能な人工的な都市空間をつくり、
そこで生活するようになった…そんなかんじが、養老先生の唯脳論だった気がする。

暗いものを極力排除してしまった結果が、今、いろんなところで勃発する、
変な事件となって、表にあらわれているのかもしれない。

「あの感覚は、まだ、消化し切れていない」ってゆうじろうは言っていたけれど、
それでいいんだと思う。ゆっくり、消化して、統合していけばよいんだと思う。
人生をちゃんと味わう時間は必要だ。


投稿者 aromagroove : 2005年12月16日 00:09